みなさまこんばんは^^
って、ここ読んでいる人はそんなにいないんだろうなぁ(笑)
こっちはあんまり書いていないから、仕方がないんだけどね^^
我が家の車にはカーナビがついていません。
ついていない、と言うよりもつけていないが正しいかな。
元々、私たち夫婦は地図と勘でどこでも行けてしまうのでナビは不要と
判断して車を買い換えるときにあえてつけなかったのです。
ところがどっこい、前厄のワタシはとうとう先週の木曜日に自宅横で
横着をしたために後のバンパーを電柱にぶつけてしまったのです
修理代に¥6万は痛いけど、後悔しても自分がぶつけてしまったのだから
今月のお給料で払うしかないのです、、、あぁ、、、おばか、、、
で、今は代車に乗っているのですがカーナビがついているのです。
もうね、画面がうっとうしい&音声がうざったい!!!
(音声は消音しちゃえばいいんですけどねw)
カーブが近づけば「(ポーン)この先カーブです」
・・・って知ってるよ!!!と機械相手に叫びました。。。。
渋滞の最後尾が見えてくると「(ポーン)この先渋滞です」
・・・見りゃあ分かるって!!!とまたまた叫びまくってました。
日曜日の夜は園芸関係の用事で高速道路使って遠方まで出かけたのですが
久しぶりに行くのと、夜間というのもあって念のためナビを設定したので
す。暫く走ってて気づいたのですが、もちろん案内をして欲しくて設定し
たのは私だけど、でも「そこまで案内するか?」と思うと気持ち悪くなっ
たのと同時に過去の私や今の義母が浮かんできた。
夫や義父が過去に借金をしまくってた頃、先回りしていた私たち。
まるで行き先(こういう風に進めばあなたは立ち直る)を調べて(検索し
て)ナビのようにひたすら音声で(口で)夫たちに案内していたこと。
案内した道(借りないように意思を強く持てとか、こういう方法があると
方法を実行するために躍起になっていたとか)を夫たちが反れると、すぐに
私たちはお互い「再検索」して正しい道やそこからルートに近づく道をまた
また一生懸命夫たちにナビしていたこと。
そして、料金所で「あと○mで料金所です。料金は¥○○○○です」を
料金所が近づくたび(最後の方は100mおきくらいだった)連呼していて
「うるさい!」と思った私はそこでナビの案内を終了させました。
それは「GAに行ったの?行けるの?」と連呼していた私や、「借りてる
の?」と連呼していた私たちと同じに感じてしまったのです。
私はもともと「自分で考えて行動したいタイプ」なのに相手にはそうさせ
ないようにしていたのだけど、やっぱり相手だって考えたいとかあったん
じゃないかなと思うのです。
なのに選挙運動のように連呼していたのですから「聞きたくない!」と
特に義父は切れて耳をふさいでしまう人でした。
そして私は夫や子供たちを私の思い描くルートで歩ませようと無意識にナビ
と同じようにしていたんだなぁ、、、と思ったのです。
最近、長男が「うるさいなぁ!」と言うのも年齢だからじゃなく(まぁそう
いうのも含まれていると思いたいのですが)、私のナビ化もあるんだろうな
と残りの道中でなんとなーく考えてしまったのです。
うちの子供たちは出かけたとき(遠くまでドライブとか)のことを良く覚え
ています。あそこを通ったときにここで人に道を聞いたよね、とか
この道ってこの前あそこに行った時も通ったよねって。
お母さん、あの時、道を間違えてここでUターンしたよねも(笑)
もしもナビがついていて、最初から案内してくれていたら果たして覚えて
いたかな?間違えたこととか、そういう時はどうするのかって知ることが
出来たのかな?
ナビはナビでとっても素晴らしい機械だと思うし(←ちょっと無理して
言ってみたw)、うん、いいと思うよ。
でも、行き先を地図で調べることも大切だし、そこに行くまでいくつか
道があるってことも大切だと私は思うの。
このまま夫たちをナビし続けていたら、自分で調べることも考えることも
方法を思いつくこともせず、ナビ(私)に頼ってばかりじゃないんじゃ
ないんだろうかって思ったの。
自分の未来は自分の中のナビが考えて決めること。
そして家族の未来はそれぞれのナビが検索した(考えた)ことを発表
していくようになれたらいいな、と思ったのでした。